絆と云う僕らの傷跡 前篇

 

 

 

 

 

 

 

「……力がないのが悔しい……」
久々に聞いた彼の第一声はこれだった。
私はその涙で揺れる紅い瞳をいつまでも忘れることが出来なかった――

 

 

 

「シンも今日から中学生かー」
桃色の花びらが舞う校門。今日は中学の入学式。校門前は新入生やその家族でごった返していた。そんな人ごみの中でブカブカの黒い学生服を身に纏い、まだ着慣れていない詰襟と格闘している少年、シンを見つけた。私は思わず声を掛けた。その声で私の存在に気が付いたのか、シンは気恥ずかしそうに私から顔を背ける。
何を今更恥ずかしがっているのだろう。私はそんな仕草が面白く思え、構わずシンの近くへ駆け寄った。
「それにしてもブッカブカでかっわい〜」
間近で見るシンの学生服姿が余りにも面白くて、私は思わず指を差して笑ってしまった。あのシンが学生服。それがどうも可笑しくてたまらなかった。
「な、何だよ。何がそんなに可笑しいんだよ!そ、それに『かわいい』とか言うな。ルナのバカ!」
「ちょっと、シン。今日から私はあなたの先輩なんだから。ちゃんと『ホーク先輩』って呼びなさい」
「えぇ……!」
シンは戸惑った様子で素っ頓狂な声をあげた。
「ウソウソ。冗談よ。今まで通り、普通に呼んでいいわよ」
「うぅ―――」
シンが悔しそうに犬のような唸り声を上げた。そんなシンの様子がやっぱり面白くて、私は勝ち誇ったように大声で笑った。


私の名前はルナマリア・ホーク。十四歳。
地球にある小さな島国、オーブ連合首長国のオノゴロ島に住むコーディネイターの中学生。
私の住むオーブはその理念さえ守れば、私達コーディネイターも住むことができる。だけど、やっぱり国民のほとんどがナチュナルということもあり、コーディネイターはちょっぴり肩身が狭い。私が通う学校にもコーディネイターは数えられるほどしかいない。私と妹のメイリン。そして、私より一つ年下のシン・アスカ。
シンとは家が近く、私の父とシンのお父さんは同じオーブ国営企業モルゲンレーテで働く同僚。両親同士も仲が良く、幼稚園に入る前から家族ぐるみの付き合いをしてきた、いわゆる幼馴染ってやつだ。
オーブは中立国。だから表立ってナチュナルだから、コーディネイターだからという揉め事は少ない。けれど、全く問題がないわけでもなく、特に子供の間ではどことなくコーディネイターを恐れる視線は感じる。
だから私達はいつも一緒に居た。そうやって自らナチュナルとコーディネイターの壁を作っていた気もするけど。あ、だからと言ってナチュナルの友達がいなかったわけじゃない。皆、普通に接してくれているし、小学校高学年にもなれば別に危惧するようなことでもなかった。
けれど、シンは今でこそあまり泣かなくなったが、かつては「泣き虫シンちゃん」という異名を持つほどの泣き虫で、私が姉代わりとしてよく面倒を見てきた。幼馴染であり弟分。それが私にとってのシンだった。


「えー?じゃあ、シン。部活入らないの?」
学校の帰り道にバッタリ出くわしたシンと一緒に帰っていた。
シンやメイリン達、新入生が入学して一ヶ月が経っていた。あの日満開だった桃色の桜木もすっかり緑色に変わっていた。放課後になっても、あの日ごった返していた校門は今では寂しく、対して校庭はボール拾いやランニングに勤しむ新入生で溢れていた。
「うん。僕もバスケ部とかサッカー部に入りたかったんだけど、やっぱり僕はコーディネイターだから……」
シンは俯きながら寂しそうに言った。
コーディネイターが部活に入ってはならないなんていう決まりはない。しかし、身体的に優れているコーディネイターが部活動、特に運動部に入るとなると色々問題が生じてくる。レギュラー枠が少ないスポーツではイジメだって起きかねない。
「確かに、私も部活入ってないしねー。メイリンも入る気なさそうだし。仕方ないわよね」
慰めになっていないけれど、これ以上は掛けてあげられる言葉が見つからなかった。だけど、そんな私の気遣いに対し、シンはこんな返事を返してきた。
「うん、別にいいんだけどね。少し残念ってだけ。それに早く帰ればマユの面倒も見れるし」
「おーおーいいお兄ちゃんだねー。マユちゃんが生まれる時は『妹なんかいらない!』って泣き喚いていたくせに」
 人がせっかく慰めてあげたのに、随分あっさり開き直ってくれたじゃない?私は少しカチンと来て、シンの恥ずかしい過去話を持ち出した。シンにはこれが一番効くのだ。
「な、泣き喚いてなんかいない!勝手なこと言うなよ」
案の定、効果は絶大だった。私のからかいに顔を真っ赤にしながらシンが吠えてきた。こんな所がまだまだ子供っぽい。
「本当の事じゃないの。忘れているなら別にそれでいいけどさ」
「僕は絶対そんなこと、言ってないからな!」
「はいはい。そーゆーことにしておいてあげる。それにしても、シン、相変わらず背低いねー」
改めてシンを見てみると、自然とそんな言葉が出た。シンは小柄で、私なんかよりずっと背が低かった。まぁ、この小さな身体でも、さすがコーディネイターなだけあって、身体能力は非常に高いけど。
「まだ成長期じゃないんだよ。今に見てろ!卒業するまでにはルナを抜いてやるからな!」
「あっそ。じゃ、期待してる。シンに見下ろされる日を楽しみにしてるわ」
「バカにしてるだろ?」
「うん!」
私は笑顔で頷いた。そんな私の返答に「もうルナなんか知らない」と怒った口調のシンも顔は笑っていた。
シンが私を追い越すなんて、今は全く想像できない。いずれそうなるのかもしれないけど。何だかそれも楽しみな気もする。
私とシンは学年が違うから、そう滅多に学校で会うこともなかった。だからと言って、特に疎遠になることもなく、今まで通り、「姉弟」として私達は仲良くやっていた。

そして、そんな学校生活もあっという間に一年が経ち、日差しが一層厳しくなる六月を迎えていた。


C.E.71 6月14日―
「へ?地球軍の戦艦がオーブに?」
「っそ!この間、パパがお弁当持って行くのを忘れて、メイリンがモルゲンレーテに届けに行ったのよ。そうしたら、地球軍の戦艦がオーブに入港しているのを見たんですって」
学校帰り。私達は家の近くの公園で道草をしていた。道草は大して珍しいことじゃない。学校帰りにシンに出くわした時は大抵この公園に寄っていた。「何で?」と訊かれると返答に困るんだけど、何となく、話し足りないことを気が済むまでこの公園で話していた。
「前にさ、オーブ近海で地球軍とザフト軍の戦闘があって、大騒ぎしたじゃない?」
「ああ、あったね、そんなこと」
今から半年ほど前……確か三月だったか。一度だけオーブ領海のすぐ近くで地球軍とザフト軍の激しい戦闘が繰り広げられたことがあった。
テレビの画面にはモビルスーツが飛び交う様子が映し出されていた。これがオーブ領海のすぐ近くで行われている事だと知った時は恐怖心と好奇心に駆られた。いや、あの時は好奇心の方が勝っていた気がする。私だけじゃない、皆、食い入るように画面を覗き込んでいた。
「あの時の地球軍の戦艦だって言うのよ。あの白い戦艦。あの子、記憶力だけはズバ抜けてるからきっと間違いないわ」
「えーと、アークエンジェル……だっけ?」
「そうそう、それそれ。アークエンジェルよ」
そう、「アークエンジェル」という名を持つ巨艦だった。大天使の名に相応しい白亜の宇宙艦。この艦の開発にオーブが絡んでいたとか何とかで、政治家やマスコミが大騒ぎしていた、何かとオーブと縁のある艦だ。その艦がオーブに入港したことは一体、何を意味するのだろうか……
私はたまらなくなって肩を震わせた。何か、とても嫌な予感がする。
「ねぇ、シン。最近、思うんだけど、ヘリオポリスのこととか、アラスカとかパナマとか、どんどん情勢が動いていて……何か怖くない?オーブは本当に大丈夫なのかな……?」
「何言ってるんだよ、ルナ。オーブは中立国だよ?戦場になんかになるわけないよ。世界も何でナチュナルだから、コーディネイターだからって争っているんだろう?世界中がみんなオーブみたいになればいいのに」
私の不安を一気に吹き飛ばすかのようにシンは笑って答えた。言われてみて思う。
他国を侵略せず、他国の侵略を許さず、他国の争いに介入しない――
それが私達の住む国。くだらない争いに必死になる地球軍でもプラントでもない。
「そうよね。オーブは中立国だもん。オーブは正しい道を歩んでいるんだもん。大丈夫よね」
「あったり前だろ?」
シンの笑顔に少しホッとした。けれど世界が戦争をしているという事だけは紛れもない事実。今、この瞬間にも犠牲になっている人がいるかもしれないと思うと、すっきりと心が晴れはしなかった。
「でも、早く戦争が終わればいいのに……」
「そうだね……」
この後、お互いどのように言葉を繋げていいのか困り、黙り込んでしまった。
海に近い公園のせいか、少し強い風が私達の頬を撫で、心地よい。誰も乗っていないブランコの軋る音がよく聞こえる。
だが、そんな沈黙を破ったのは私でもシンでもなく、突如聞こえてきた雑音だった。その主は公園や学校などに設置されているスピーカーだった。次第に雑音に声が混じって聞こえてきた。
『――オーブの……民のみ……様に重大かつ緊……の発表を行います。どの方もこの放送を聞き逃すことのないように……』
初めは聞き取りにくかったものの、次第にくっきりと聞こえてきた。
「何か重大な発表みたいね?家に戻った方がいいのかな?」
雑音と一緒に聞こえてきたのは代表首長であるウズミ様と思える声。どうやらこれはオーブの国営放送のようだ。
そういえば、このスピーカーが使われたのはいつ振りだろうか?
滅多なことでは使用されない緊急用のスピーカー。それが今、使われている。何かとても嫌な胸騒ぎがした。
「うん。帰った方がいいのかも知れない」
シンも同意見のようだ。重大な発表なら家族とニュースを聞く方がより正確で、何かあった時も安全だ。
「スピーカーの調子もあまり良くないみたいだし」
私達は地面に降ろしていたカバンを手に取り、帰る準備を急いだ。
「じゃあね、シン!」
帰る準備が済むと、私は手を振ってシンに別れの挨拶を告げた。
「また明日な!」
シンはにっこり笑って手を振り返した。いつもと何ら変わらない笑顔。だけど、変な胸騒ぎだけは止まる気配がなかった。
これから何を発表されるかは分からない。けれど、そんなことも明日またシンと話して笑い飛ばせばいい。
気が付けばシンはもう私の視界からは消えていた。私も急いで家へと走った。
夕暮れが空を綺麗な橙色に染めていた。これから起こる悲劇を全く感じさせない、透き通った色だった。

 



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