絆と云う僕らの傷跡 後篇

 

 

 

 

 

 

 

「えぇ………?」
家に帰り、ウズミ様の会見を聞いた私は思わず持っていたカバンを床に落とした。夕飯の支度をしていたらしい母と先に家に戻っていたメイリンは既に何度も同じ会見を聞いたらしく、すっかり血の気が引いていた。
「地球軍が……攻めて来る……?」
私は画面の向こうの男が何を言っているのか最初は理解できなかった。
「ママ……これは何?」
「……ル、ルナマリア、メイリン、急いで支度なさい!必要最低限のものをバッグに詰めるの。いいわね?急いで!!」
さっきまで血の気が引いていて、呆然と立ち尽くしていた母は私の問いに我を取り戻したのか、うろたえながらも甲高い声で私達に指示を出した。
ウズミ様の会見は、地球軍がオーブに侵攻してくるという衝撃的なものだった。政府は今も地球軍と交渉をしているらしいが、念のため、国民はシェルターに避難しろという警告だった。
何故、地球軍が攻めてくるの?オーブは中立国じゃない!さっきだって、シンと一緒にそう笑ったじゃない!
そんな事を考えながら、急いでバッグに荷物を詰める。チラっとメイリンを見遣ると、あの子の手は小刻みに震えていた。
それからのことは実はあまりよく覚えていない。
覚えていることといえば、早々と父が帰宅し、避難準備を進め、夜が明けるか明けない頃、走って港に止まる救難船に乗り込んだことぐらいだ。
とにかく必死だった。救難船に乗り込んでから数時間が経ち、人でごった返す中、ようやく落ち着いて腰を下ろせる場所を見つけた。救難船は薄暗く、肌寒かった。そして、ついに外からは砲弾の炸裂音が聞こえてきた。地球軍が本当に侵攻を始めたのだ。メイリンはよほど怖いのか、大粒の涙を零している。私も泣きたい気分だったけど、妹のそんな姿を見たら泣けなくなった。泣き虫の前で泣いちゃいけない。それが姉としての責務だ。そう自分に言い聞かせていると、ある人物が脳裏に浮かび上がった。そう、昔はいつも泣いていた、泣き虫少年。
あれは――

 

 

 

 

「そういえば、アスカさん、見掛けないわね……」

 

 

 

 

 

私がある人物を思い浮かべたその瞬間、母の言葉が被さった。

 

 

 

 


 

「……シ……ン……?」
確かに今まで自分の事が必死で気がつかなかったけど、この船で何人もの友人とその家族に出くわしたが、シンの家族はまだ見かけていない。そして昨日から続くこの胸騒ぎも止まらない。
「救難船はこの船だけじゃない。きっと違う船に乗られたんだよ」
父は少し笑ったような表情でそう言った。きっと私達を不安がらせないように笑顔を取り繕っているのだろう。
確かに救難船はこの船だけじゃない。きっとシン達は違う船に乗ったんだ。そう思った。そうであって欲しいと願った。

 

微かに、遠くから叫び声が聞こえた気がした――
 

 

 


 

シンの家族がシンたった一人を残して全員亡くなったということを知ったのはそれから二週間後のことだった。
その事はシンと同じ救難船に乗り込んだ友人が教えてくれた。初めて聞いた時は友人が何を言っているか理解できなくて、やっと理解できた時は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
あの優しかったおばさんも、少し厳しいけど、どこか温かかったおじさんも、妹のマユちゃんも、もういない。ただただ、最近買ってもらった愛らしいピンクの携帯電話を肌身離さず持ち歩き、はしゃいでいた姿が鮮明に蘇る。
あんなに羨ましいほど仲が良かったシンの家族はもういない。一緒にバーベキューを楽しんだあの家族はもういない。
友人によれば、家族を失い、身寄りのないシンはオーブ軍の将校さんに保護されているらしい。
本来なら家族ぐるみの付き合いをしてきた私達がシンを引き取るべきなのかもしれない。けれど、家は跡形も無く消え去り、全てを失った私達一家にシンを受け入れる余裕などありはしなかった。

 

 

やがて戦争は終わった。


 

あの日。地球軍がオーブを攻める前日、『また明日』と笑顔で別れて以来、シンと会うことはなかった。
あれから大分月日は経ち、一時は他国に避難した私達もオーブへと戻っていた。滅茶苦茶だった生活も、まだ苦しいものの、ある程度は安定してきていた。
学校も始まったけれど、シンが学校に来ることはなかった。

その日は何となく真っ直ぐ家に帰る気が起きなくて、回り道をして帰ることにした。よくよく考えれば最後にこの道を通ったのは、まだ地球軍が侵攻してくる前だった。
海沿いの道で、潮の匂いがする。そんな自然を肌で感じながらも、視界を少し変えれば、ここは地球軍の攻撃が激しかったのか、様々な残骸が今なお残っていた。
そして思い出す。友人が、この辺りでシンの家族の命が奪われたと言っていたことを。逃げ遅れたシンの家族に流れ弾が当たった場所だと。
「え……?」
その残骸の中、遠くに人がいるように見えた。別に人がいたらおかしい訳じゃないけど、何となく気になって目を凝らした。するとそこにはよく知る人物が立っていた。
「シン!?」
私は急いでその人物の元へ駆け寄る。
大分近づいたところで確信した。やはりシンだ。
「シン!」
私の声に気が付いたのか、シンは私の顔を見て少し驚いたような表情を見せた。
「………」
シンは口を開けたが何も言わない。どうやら声が詰まってしまっているようだ。
久々に見たシンは痩せていた。いや、これはやつれているという方が正確だ。
「シン……その……」
私は言葉に詰まる。明らかに元気ではないシンに「元気?」何て訊ける筈がない。家族を失った場所に佇んでいたシンに言える筈がない。家族を一瞬にして失ったシンに私が何を言えるというのだろう。
一瞬の沈黙が起きる。だけど、その沈黙を破ったのは私ではなくシンだった。
「……力がないのが悔しい……」
久々に聞いたシンの第一声はこれだった。
私はその涙で揺れる紅い瞳をいつまでも忘れることが出来なかった。
「シン……」
「俺は無力で……俺にあの時、力があれば……力さえあればマユは、父さんは、母さんは死なずに済んだ!」
シンは叫んだ。そして倒れるように私に寄りかかってきた。
私はその行動に戸惑いを覚え、そしてシンの言葉遣いに妙な違和感を覚えた。
「モビルスーツが頭上に来ても逃げることしかできなくて、戦うことも出来なくて、俺だけ助かって……悔しい……悔しいよ、ルナァ!」
一滴の雫が落ち、シンの足を支える大地の色が変わった。
「オーブは俺の家族を助けてはくれなかった……」
「シン……」
私の瞳からも雫が零れた。確かに私はシンの気持ちを全て理解できたわけじゃない。でも痛みは十分伝わっていた。
しばらくして、少し落ち着いたのか、シンは私から離れ、私を背にし、空を見上げた。
「ルナ……俺、プラントに行くことにしたから……」
「え……?プラン……ト?」
私は一瞬、何のことかよく分からなかった。プラントに行く?
「将校さんが手配してくれたんだ……もうオーブにはいたくないから……」
ようやく、シンの言った意味を理解できた。そういえば、オーブに住むコーディネイターは今や地球連合軍の勢力圏にいるオーブを恐れ、プラントに移住する人が増えているらしい。理由は多少違うけど、シンもオーブを去るのだ。
「いつ、行くの……?」
「……明日……」
私が恐る恐る尋ねると、シンは小さくそうとだけ答えた。
「明日……本当に急ね……うん、そっか……明日……」
明日とはあまりにも急すぎる気がした。久々に再会したシンは明日には飛び立ってしまう。いつも見上げている空の向こうに行ってしまう。私はフラつきそうになった足を懸命に支えた。
「ねぇ、シン。もし、私が今日ここを通らなければ、シンと会わなかったら、そのまま何も言わずに行くつもりだったの?」
たまたま今日この道を通ったからシンに会えたけど、もしもこの道を通らなかったら?いつものように家に帰っていたらどうなっていた?シンは私に何も言わずに行くつもりだったのだろうか。もしかしたら永遠の別れになるかもしれないのに……
小さな怒りのようなものが込み上げ、訊かずにはいられなかった。
「ううん。……ルナだけには言っておきたいと思ったけど、今どこにいるか分からなかったし……」
 シンは後ろめたそうにそう答えた。
「そ、それもそうだね。今は仮住まいだから」
言われてみれば私は今、仮住まいで、元の家とは違う場所に住んでいた。確かにそれでは連絡のしようがない。シンの返事が妙に嬉しく思えた。
「今日、シンと会えて本当に良かった……」
「うん、俺も……」
また沈黙が起きる。海風が強く吹き、髪が大きく揺れる。
ダメだ。何か話しかけなきゃ。そんな使命感に駆られた。話さなきゃ。じゃないとシンがもう行ってしまう気がしたから。でも、言葉が見つからない。何て会話を続ければいいのか分からない。そうジタバタしている間に、予想は当たってしまった。
「じゃあ俺行くから……」
シンは踵を返した。シンが私の横を通り過ぎる瞬間、私は叫んだ。
「ま、待ってシン!」
シンの足が止まる。しかし、私はシンを引き止めておきながら、言葉が見つからなかった。だけど、何か言わなきゃ。それだけが頭の中を駆け巡っていた。
「ちゃ、ちゃんとご飯食べなさいよ?あなたは私の弟≠ネんだからさ。心配掛けないでよね!」
 これが、やっと浮かんだ、精一杯の言葉だった。私は暗くなる一方の自分の気持ちに逆らい、わざと明るく振舞った。本当に笑えているのかは鏡がないから分からないけど、精一杯笑って見せた。シンを送り出すなら笑顔の方がいい。
今は辛く、オーブを憎くさえ思えているかもしれない。そんなオーブにいつかシンが笑顔で帰って来られるように。
「うん、分かった」
シンは小さく頷いて走り出した。私はその姿が見えなくなるまで背中を目で追った。


翌日、シンはプラント行きのシャトルに乗った――

 

「ルナマリア、メイリン。話がある。ちょっと来てくれ」
それから一ヶ月も経たないある日。父が神妙な顔をして私とメイリンを呼んだ。
普段、私を「ルナ」と愛称で呼ぶ父が珍しくルナマリア≠ニ呼んだ。声もいつもより、ずっしりと重たく、父の横に座る母の顔はどこか曇っていた。
いつもと様子が違う両親に私とメイリンは戸惑いを感じていた。
どう考えても楽しい話ではなさそうだ。何を言われるんだろう。何となく予想が出来る気もする。けれど、体の震えを抑えることは出来なかった。
家族四人が集まり、暫し重い空気が流れる。母は今にも泣きだしそうな顔をしている。その時間はそんなに長い時間ではなかったのかもしれない。けれど、私にはとてもとても長く感じられた。
ようやく父の重い口が開いた。
「ルナマリア、メイリン……私達もプラントに移住しようと思うんだ」
私はため息を吐いた。何となくそんな気がしていた。だけど、メイリンはそんなこと微塵も予想していなかったようで、カタカタと肩を震わせていた。
「プラントって宇宙に、ってこと?」
メイリンは瞳を揺らして父の顔を覗きこむ。嘘だと言ってほしい。きっとそう願っているに違いない。だけど私は分かる。父は本気だ。
「そうだ」
父ははっきりと答えた。きっとこのことは昨日今日に決めたことじゃない。随分前から考え、決め、覚悟を固めていたはず。
ある程度予想はしていたけど、次第に私も怖くなった。いつも見上げている空の向こう、宇宙に住む。いくらプラントはコーディネイターの国だと言われても、地球で生まれ育った私達には未知の世界で、不安ばかりが募る。周り全てがコーディネイター?重力の干渉が弱いコロニー?とても想像がつかない世界。でも、シンは一人で行ったのだ。その世界に。
メイリンは諦めたのか、わんわんと泣き出した。この子が羨ましい。泣きたい時に泣けるのだから。

 

それから二週間後、私達はプラント本国へと移住した。
初めは戸惑いばかりで、周りを見る余裕などなかった。けれど何ヶ月か住んでみて分かった。
確かにコロニー自体で戦闘が繰り広げられたわけじゃない。街並みは整っていて美しい。けれど、戦後は統率者もあやふやで、街は難民で溢れ、家族を失った悲しみを背負う人達がそこら中で泣いていた。プラントは混乱していた。プラントもオーブと変わらないほど酷い惨状だった。
ただただ、酷い状態だった。
そんな惨状を見て、私は決意した。

「パパ、ママ。私、ザフトに志願します」

もちろん猛反対された。でも、私の決意は崩れやしなかった。
「力がないのが悔しい」シンはそう言った。
その気持ちは私だって同じ。逃げるしかなかった自分。犠牲をただ見ていることしか出来なかった自分。何も知らなかった自分。そんな自分はもう嫌だ。
今はプラントの住人として、プラントを守りたい。家族を守りたい。もう大切なものを奪われたくない。戦わなくては得られないものもあるんだ。
父も母も私の決意に負け、ようやく入隊を許してくれた。だが、
「私も、ザフトに志願する!私だって、お姉ちゃんと同じ気持ちだもん」
メイリンも志願したことには私以上の猛反対を食らった。もちろん私も反対した。この子に軍人なんて務まるわけがない。泣き虫で、甘いこの子に。
だけど、メイリンの頑固っぷりは私以上だった。さすが私の妹。そう思うとなんだか笑えてきた。
そして私とメイリンは揃って、アカデミーに入学した――


「うひゃー、アカデミーって広いのねー。うう、それより今どこよ?これじゃ入学式に遅れちゃうじゃないの!」
アカデミーの入学式。パイロット志望の私とオペレーター志望のメイリンでは集合場所が異なっていた。お互い別れたのはいいものの、アカデミーは余りに広大な敷地を有しており、すっかり迷子になっていた。軍人の卵が迷子。我ながら先が思いやられる。
「もーどこよ!どこよ!?っひゃ!」
「うわっ!」
辺りを見回していると奇声と同時に視界が急に白くなる。
どうやら私は人とぶつかったらしい。挙句に尻餅までついてしまったらしい。アイタタタ……、お尻が痛い。つくづく今日はついていない。
「いつつ……」
ぶつかった相手も尻餅をついたらし。チラっと視線を向けると相手は緑の服を着用している。どうやら男のようだ。
「ごめんなさい!」
まったく入学式から何をやっているのだろう。私は謝りながら顔を上げた。そして相手の顔を覗きこんだ。すると私は一瞬、息を止めてしまった。
「シ……ン……!?」
 そこには見覚えのある顔があった。私の声に驚いたのか、ぶつかった相手も訝しそうに私を見て、声をあげた。
「え?ル……ナ……マリア!?」
黒い髪、赤い瞳、小柄な体型、そしてこの声。間違いない。シンだ。シン・アスカだ。
「何でこんな所に?」
「ルナこそ、何でプラントに?それにその服……まさか!」

どういう運命の巡り合わせか。私達は偶然には出来すぎているこの事態に思わず笑ってしまった。まさかこんな所で再会するなんて……
こうして、私達のアカデミーでの生活が始まった。

でもこの時、私達は浅はかで、大人のようでまだまだ子供だった。
この後、私達を待ち受けている苦難なんて微塵も想像できていなかった――

 



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