第九章「終わりゆく大地、始まる大地」 其の六

 

 

 

私達は木々が生い茂る森にたどり着いた。浜辺に近いのか、微かに潮のにおいがする。

風間「ここで戦ってもどうせ犬死するだけだ。新政府軍の威力は増大しているからな。ここ箱館が陥落するのも時間の問題だ。お前はその女鬼を捕虜にでもするつもりか?」

山崎「まだ負けると決まったわけではない!だが彼女は……」
烝さんは言葉に詰まり、一度下を向き、改めて顔を上げ隣に立つ私の顔をじっと見つめていた。
山崎「千鶴を助けたい、しかし鬼に渡すなどと……!」
烝さん……。私は嬉しさと歯痒さを感じた。
私が風間さんと一緒になれば烝さんは少なくとも風間さんに殺されることはない。最期まで新選組の一員として新政府軍と戦うことができるはず。
分かっているのに、それでも烝さんと離れたくないと思っている自分が憎らしい。私はどこまで身勝手なのだろう。

風間「お前は欲張りな奴だな。おい、山崎とやら、なんならお前も来い」
山崎「なん、だと?」
風間「俺が情けをかけてお前達を保護してやろうと言っているのだ」
その言葉に私は我が耳を疑う。

山崎「何故、そんなことを。何が目的だ!」
烝さんも風間さんの意図をはかりかねているのか、語尾が強くなる。
風間「……決まっている。鬼の一族の為だ」
山崎「なに?」

風間「新選組副長に感謝するのだな。あいつは実に愉快だった。人間のくせに俺と対峙しても一歩も引かない。そんな奴の部下だから見逃してやると言っているのだ」
山崎「な……」
風間「千鶴を返してもらうぞ」
山崎「彼女はお前のモノではない!」
風間「鬼の一族の問題に、まがいものが口を出すな!」

山崎「彼女は……確かに体は鬼かもしれない。しかし心は間違いなく人間だ。そこに鬼と人間の差など彼女にはない!」
風間「鬼と人間の差がない、だと?」
千鶴「烝さん……私は烝さんと一緒にいたいです。でも、あなたには後悔してほしくない。最期まで戦うというのなら私も付いて行く。処分だってなんだって受ける覚悟で蝦夷に来たんです!」
山崎「だが……君には生きていてもらいたい。これ以上苦しい目に遭わせたくない。……俺はまた、身勝手な事を言っているのかもしれないな……」
風間「船に乗るのか乗らぬか、どっちなのだ」
山崎「………っく」

 

???「ちょっと、二人をいじめるのもいい加減にしなさい!」


戦場で聞く事の少ない甲高い声が響いた。これは女性の声……?
千鶴「お、千ちゃん!?」
千姫「久しぶり、千鶴ちゃん」
京に住む鬼の一族の姫―千姫がそこにいた。お千ちゃんだけじゃない、君菊さんに、天霧さん、不知火さんまでいる。
千鶴「何でお千ちゃんがここに……?」
千姫「あなた達を保護しに来たのよ」
風間「ふん」
お千ちゃんが話している間、風間さんは不貞腐れたような顔をしていた。

千姫「あなたが話をややこしくしたんじゃない!それに何よ、『我が妻』っていうのは。これ以上私に無礼を働くのなら本気で許さないわよ」
風間「お前は妾だ。自分の立場を弁えろ」
千姫「なんですって!?……実家に帰らせていただきます」
風間「何が実家だ。お前はまだ風間家に入っていないであろうが」
千姫「当たり前よ!そっちが婿に来るのが当然でしょ?」
風間「そんなこと絶対許さぬぞ。お前は風間家に嫁に入る。これが当然であろう」

千鶴「あの、これは……?」
目の前のやりとりが理解できない私は、天霧さんに助けを求めた。
天霧「風間と千姫様は結納を交わされたのですよ」
千鶴「結納!?」
天霧「一見、ケンカしているように見えて、あの二人は仲が良いのですよ」
不知火「風間は千姫さん怒らせるのが趣味らしいからな。見ててイラっとくるぜ」
君菊「ケンカするほど仲がいいとは言いますがね……姫様、そろそろ千鶴様に本題を」
低く発せられた君菊さんの声に、お千ちゃんは我を思い出したようで、私達の方に体を向け話し始めた。

千姫「そうだわ!風間と遊んでいる場合じゃなかったわね。それでね、千鶴ちゃん、私達と一緒に行かない?もちろんそこの彼も連れて」
千鶴「え?私を?山崎さんと……?」
千姫「正直な話をするわ。あなた達が思っている以上に今の戦況は新政府軍が勝っているの。今日だって、既に四稜郭が落とされている。あなたが新選組に特別な想いを抱いているのは分かってる。でもこのままだとあなたは殺されるかもしれない。捕虜になってしまうかもしれない。彼と二度と会えなくなってしまうかもしれない。そんな目には遭わせたくないの。それは風間も同じ考えよ」
風間「ふん、これ以上、鬼が人間に使われる姿など見たくないだけだ」
千姫「山崎さん…でしたよね。どうですか、私達と一緒に」
山崎「そんなこと……」
不知火「俺達も一緒だ。千鶴ちゃんに変な真似はさせないぜ」
天霧「風間が何かしようとしたら全力で止めます」
風間「貴様ら……!」


山崎「俺は……最後まで戦わなければならない。土方さんが、新選組が命を掛けて守ろうとしているものを。だから、俺はその船には乗れません」

お千ちゃん達と烝さんと一緒に、静かに……いや、賑やかに、だろうか。一緒に暮らせたらどんなに楽しくて幸せなんだろう。でも私が選ぶ道は決まっている。最期まで烝さんについて行く。それが私の答え。

千鶴「私も乗る事ができません。最後までついて行きます」
しかし烝さんは真剣な眼差しでこう言った。
山崎「いや、君は船に乗ってくれ」
千鶴「何をおっしゃるんですか!?」

山崎「俺は……新選組も君もどちらも大事なものなんだ。天秤に掛けることすらできないほど、俺は千鶴、君が好きだ。だからこそ君には生きていてほしい。そうでなくてはもう俺は俺でいられなくなる。新選組の山崎烝にも、君が願う山崎烝にもなれない」
千鶴「でも、でも!」
山崎「新選組はまだ負けたわけではない。今まさに戦っているんだ。俺は皆の援護に向かう。……たとえ罰を受けることになっても、俺は逃げずに贖いの時を受け入れる」
千鶴「……」

烝さんは私の手を取り、両の手でそっと私の手を包み込んだ。
山崎「だが、君が生きていてくれれば、そしてもし俺が生き残れたら、俺は一生君の傍から離れない。必ず君を迎えに行く。……だから先に行っていてくれないか?」
千鶴「……必ずですよ?私は何日だって、何カ月だって、何年だって、最期の時まであなたの生還を願っています」
山崎「大丈夫だ。君はいつも俺に安心をくれる。君に肯定されれば俺はどんなに難しい事でも出来てしまう気がするんだ。だから待っていてくれ、千鶴」
千鶴「はい!!」
私は精一杯の笑顔と声で返事をした。
山崎「千姫さん……千鶴をよろしくお願いします」
千姫「任せて下さい。千鶴ちゃんは必ず守ります。山崎さんもどうかご無事で」

 

山崎「千鶴」
不意に名前を呼ばれ、隣に立つ烝さんの方に顔を向ける。その瞬間だった。
千鶴「!?」
ヒュ~と口笛が鳴る。きっと不知火さんの口笛だろう。
やっと重なり合っていた唇が離れ、私は茹でタコのように顔を真っ赤にして烝さんに詰め寄った。
千鶴「ちょ、ちょっと待って下さい、烝さん。こ、こんな大勢の方の前で……!」
でも、烝さんはただ微笑むだけだった。
山崎「では、行ってくる。千鶴、少しの間だけだ、待っていてくれ」
千鶴「はい!絶対ですよ!」
山崎「ああ!」
そう答えると、彼は再び戦場へと駆けて行った。

千姫「千鶴ちゃん……」
千鶴「本当、あの人はいつも身勝手」
私は小さく微笑みながらそう呟いた。

 

お千ちゃんの言う通り、この日、防衛基地のひとつ、四稜郭が落とされ、奇襲を受け孤立していた弁天台場も4日後、降伏せざるを得なくなった。
その後も戦いは旧幕府軍が劣勢となり、降伏。ついに最後の要、五稜郭を新政府軍に明け渡すこととなった。
こうして長かった戦争は終わった。後に戊辰戦争と呼ばれる戦いを――


 

山崎終章に進む