第九章「終わりゆく大地、始まる大地」 其の参

 

 

 

宮古湾海作戦。
三隻の船で奇襲を掛け、新政府軍の船も奪おうという大胆な作戦が立てられた。
新選組も作戦に参加することとなったが、狭い船上で羅刹の姿を晒すわけにはいかず、烝さんは実行部隊からは外れることとなった。
大規模な作戦であり、幕府軍の間には緊迫した張りつめた空気が流れていた。

山崎「雪村君!そんな重いものは俺が持つ!君は少し休んだ方がいい」
千鶴「大丈夫です、山崎さん。これぐらいなら私でも」

実行部隊から外されたとはいえ、私達は作戦実行の為の準備に追われていた。

島田「雪村君もですが、山崎君、君もですよ。ここ最近働きっぱなしではないですか。山崎君は羅刹ですし、少しは療養を取らないと体に毒ですよ?」
山崎「体は問題ないさ。蝦夷は空気がいいのか、昼間に動いてもさほど苦痛を感じないんだ。実行部隊としては役に立てないんだ。せめて準備くらいやらせてくれ」
島田「それなら良いのですが……あ!雪村君!それは無茶ですよ!俺が運びます!」

想像より重い木箱を手にした私は足をふらふらさせながら前に進む。その姿を見かねた島田さんが駆け寄り、ひょいっと軽々と荷物を持ち上げた。さすが新選組一の力持ち。鳥羽伏見の戦いの時、高い塀を越える為あの永倉さんを軽々と持ち上げた……なんて話もあるほどだ。

山崎「雪村君、本当に大丈夫か?顔色も良くないぞ?」
千鶴「大丈夫です!大丈……」

あれ?突然視界が歪む。
自分の身に何が起きたのか分からないまま、私は意識を失った。

山崎「雪村君!?」
島田「こ、これは、凄い熱ですよ!とにかく、近くの宿で休ませてもらいましょう」
山崎「千鶴、しっかりしろ!……千鶴!千鶴!!」


+++


千鶴「ここは……?」
山崎「千鶴!気がついたか!」
千鶴「山崎さん?」
ぼんやりとしていた視界がはっきりと見えだす。間違いない、この輪郭は、ここにいるのは山崎さん……烝さんだ。

山崎「良かった……!ここは箱館病院だ」
千鶴「病院……」
気がつくと、私は高床の布団で眠っていた。これは西洋の寝具で「べっど」と言うらしい。
そういえば少し耳にしたことがある。
高松凌雲という人がいる。箱館病院の院長で、フランスに留学経験があるお医者様なのだそうだ。


山崎「君は丸二日、眠っていたんだぞ?」
千鶴「二日も!?す、すみませんでした、心配をおかけしました」
彼の顔を見ると、いつもより深い隈ができていた。もしかして、羅刹の身でありながら、休まずにいたのではないか!?

千鶴「私はもう大丈夫です。それより、烝さん、もしや体を休めていないのではないですか!?」
山崎「君が倒れたというのに、休めるわけがないだろ?」
千鶴「心配して下さったのは凄く嬉しいです。でも……烝さんは羅刹なんです……自分の体も労って下さい」
山崎「たとえ体を休めようとしても、君のことが心配で眠ることなどできなかったはずだ」
千鶴「そんな」
山崎「先生は過度な疲労から倒れたのではないかと仰っていた。俺は……医学を齧りながら、こんな近くにいる君の異常にも気づけないとは……情けなくて、悔しくてたまらない」

烝さんは膝の上でぎゅっと拳を握り、ずぼんに皺を作る。その仕草からどれほど心配をかけてしまったのかが伝わってきて、申し訳ない気持ちと同時に不謹慎ながら嬉しいと思ってしまった。

千鶴「……烝さんは優しすぎます。烝さんだって疲れていらっしゃるはずです。今回のこと、私自身、異変に気づいていなかったんです。烝さんが気づけないのも当然です」
わたしはべっどから手を伸ばし、烝さんの握る片方の拳を両手で包み込む。
すると烝さんは一瞬息を呑み、顔を上げる。

山崎「すまない、また君に余計な心配をかけるような真似をしてしまったな。こんなだから君が倒れてしまったというのに……」
千鶴「はい、もうそこまでです。烝さんは優しすぎるんです。だから……今だけは私が倒れたのは山崎さんのせいにします!だから今だけ思う存分自分のせいにして下さい!」
山崎「それは……!」
千鶴「以前、烝さんに言われたことのお返しです」
私はにっこりと笑った。
あの時……烝さんが変若水を飲んだ時、言って下さりましたよね。

……分かった。
君は、気が済むまで泣いてくれ。今だけは俺が羅刹になったのは君のせいにする。
そうすれば君は思う存分泣けるだろう?

千鶴「あの言葉に私はとても救われました。でも、まるで赤子みたいな扱いで、私すっごく恥ずかしかったんですよ!?だから仕返しです!」
山崎「ははは、本当、君は面白いな」
千鶴「ですから、面白いは褒め言葉じゃないですよ!」
山崎「だが、面白いものは面白い。仕方ないだろ?」
千鶴「もう!」
山崎「そう剥れるな。だが、頼むから俺以外の者にそのような可愛い顔を見せないでくれ」
千鶴「へ?どーゆー意味ですか!?」

山崎「監察方に就いて、自己的な感情は捨てたつもりでいたんだがな。そんな俺にも一端の独占欲は残っていたようだ。好きな女子が他の男に可愛い表情を見せていていい気分になる男などいない」
千鶴「そ!そんなの、女だって同じです!烝さんのかっこいい所も、優しい所も、私だけが知ってる姿を他の女の子になんか見せたくありません!」
山崎「君ほど、俺の情けない姿を見た者もいないんだがな……」
千鶴「えへへへ」
山崎「千鶴……」
千鶴「はい……」
お互いの瞳を見つめあっていたその時だった。


トントントン
と扉から音がしたと思えば、「そろそろいいだろうか」という男の方の声が聞こえてきた。
これは「のっく」というもので、西洋の部屋に入る前の作法だ。
私はパっと眼をそらす。烝さんが慌てて「どうぞ」と声をかける。
横目でチラっと烝さんの表情を窺うと、この突然の声に彼も慌てているようだった。気配の機微に敏い烝さんらしくない失敗だ。


???「どうやら彼女はもう平気そうだな」
扉が開き、白衣を纏った男性が入ってきた。
山崎「高松先生!はいお陰さまで。……雪村君、あの方がここの院長を務めている高松凌雲先生だ」
千鶴「あの、ご心配おかけしました、もう大丈夫です」
私が「べっど」から起き上がろうとすると、先生は手を拡げ、制止した。
高松「まだ新政府軍が来ているわけじゃない、ゆっくりしていなさい」
千鶴「申し訳ありません……」
高松「悪いと思っているなら早く体調を万全にしなさい。それと、一応ここは病院だ。……何がとは言わないがほどほどにしなさい」
山崎「は、はい……」
千鶴「すみませんでした」
私達は顔を真っ赤にさせて頭を下げた。
高松「薬を持ってきた。これを飲めばだいぶ楽になるだろう」
山崎「ありがとうございます。高松先生は優秀な蘭方医の先生だ。君の熱が下がったのも先生のおかげだ」
千鶴「蘭方医……」
高松「まずは薬を飲みなさい」

+++


薬を飲んで半刻程。目覚めてから少し重たかった体も徐々に楽になってきた。どうやら薬が効いたようだ。
高松先生のことは、噂を耳にしたことがあるが、こうして治療を受けると本当に優秀なお医者様なんだと実感した。

千鶴「先生は何故、蝦夷まで幕府軍の医師として従軍されたのですか?先生ほど西洋医学に精通している方なら、その……」
以前、松本先生がおっしゃっていた。負傷した兵士を治療してもそれはまた彼らを戦いの世界に返すだけだと。
高松「私は幕府に仕えている身ではあるが、たとえ負傷者が新政府軍の者でも私は治療するつもりだ」
千鶴「え?」

高松「負傷者は皆平等である。負傷した者には敵も味方もないんだ。これは私が西洋で学んだ一番大切な精神だ。また病院は戦場であってはならないとも思っている。ここに乗り込んでくる兵士がいれば、私は盾になってでも負傷者を守るつもりだ」
山崎「……」
高松「まぁ、君達兵士にこんなこと言うのは間違っているのかもしれないがね」
山崎「いえ……」
高松「ん!?ど、どうした!?」
山崎「雪村君!?」
千鶴「え?……あ」
二人の驚いた顔を見て、ようやく自分が涙を流している事に気がついた。

千鶴「先生の仰ったこと、気づきにくいことではあるけど、とても大切な心だと思います。なんだか、父様のこと、思い出してしまって……」
鬼として生まれ育ちながら、人間の命を救っていた父様……
変若水は父様の心を狂わせたけれど、私は知っている。以前の父様は鬼も人間も関係なく命を重んじていて、皆を助けようとしていたことを。心優しい父であったことを。先生はそんな父にどこか似ている気がした。

仙台城での父様との別れの言葉を思い出す。お前は幸せになりなさい。
父様、私はとても幸せなんだと思います。だって、心から私のことを心配してくれる人がいるのだから……

 

丸二日眠り続けた私だが、幸い病気ではなく、疲労から来る熱だったようで、ほどなくして退院することができた。
その間、烝さんにはとても心配と苦労を掛けさせてしまった。烝さんを支えるために蝦夷に来たというのに、私は何をやっているんだろう。


私が退院する頃、宮古湾での作戦が実行されようとしていた。
そしてその結果は、幕府軍の敗退だった――

 

本編に組み込むか否か。悩んだエピソードです。結局本編に突っ込んでしまいました。
高松凌雲は実際函館に行ったことで知った偉人です。一応、薄桜鬼には出てこない人です。
函館総攻撃の際、函館病院にも新政府軍がやってきたのですが、「ここにいるのは怪我人だ」として身を張って患者を守ったそうな。
留学をさせてくれた幕府への恩義を返す為幕軍に従事していましたが、怪我人は平等であるとして新政府軍の兵士の手当てもしたそうで、
彼の行動は日本における初めての赤十字活動になるそうです。
山千的にお医者様ってのはある種のキーワードなので出してみました。
……ほとんどラブラブっぷりを見せつけただけな気がしますが。書いてて恥ずかしかった!次回がもっと恥ずかしい!誰か私に勇気を!
 

ちなみに、一応皆の前では恥ずかしいようで「雪村君」「山崎さん」と呼び合ってます。二人きりの時(や余裕がない時w)は「千鶴」「烝さん」らしいです(笑)

 

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